北条義時を主人公としたNHK大河ドラマ「鎌倉殿の十三人」が大詰めを迎えています。私の苗字の「條」は「条」の旧字なので、苗字としては同じです。
熊本にはあまりいない名前で、私の出身は千葉県、父は茨城県なのですが、確かに関東・東海の方に多いかもしれません。
それで、よく初対面の方から「鎌倉の北条氏の子孫ですか?」とか「戦国大名の北条氏の子孫ですか?」などと聞かれます。私は「多分違います…」と答えています。
「多分ってなんだ?もったいぶるな!」と思われるかもしれませんが、実際分からないのですから仕方ありません。
その昔、父にルーツを尋ねたことがありますが、「鎌倉の北条の末裔だと思う。親父がそういってた」というので、さらに祖母(祖父は小さいころに亡くなったので)に尋ねたところ、「おじいさんがそう言ってた。おじいさんのお父さんからそう聞いたそうだ」ということで、伝言ゲームみたいな話で真相は分かりませんでした。家系図や先祖伝来の品などはもちろんありません。
親族の話を総合すると、ご先祖様は茨城県の北の方でほぼ農民に近い武士(郷士というそうです)をしていたようです。平時は田畑を耕し、戦時には槍や刀を持って駆けつけるというような身分ですが、江戸時代になると戦はありませんので、ほぼ農民と言ってよいでしょう。戦国時代、茨城県は戦国大名の佐竹氏が治めていましたが、関ケ原以後に佐竹氏が秋田に転封となりました。秋田に連れて行ってもらえなかった下っ端は現地で帰農しましたが、一応武士にカテゴライズされていたようです。戦国の世が終わり、全国的には「兵農分離」が進められましたが、当時の茨城県にはそんな「刀を差して威張っている農民」みたいな人がたくさんいて、後から入った水戸徳川家も、「こいつらから刀取り上げると揉めそう…。めんどくさいからそのままにしとくか」ということでそのままになったそうです。私のご先祖様もそのような人ではなかったかと推測します。
ということで、私のご先祖様のイメージは粗野な下級武士、フンドシの上から粗末な鎧を着て戦場を駆け回る、「七人の侍」の菊千代(三船敏郎)をイメージしていただければよいと思います。って、勝手に美化していますが(笑)。
ちなみに、熊本が誇る維新の偉人、横井小楠も鎌倉の北条家の子孫を称しています。こちらは最後の執権北条高時の息子、北条時行の子孫だそうです。北条時行は鎌倉幕府滅亡もしぶとく生き残って足利家と争い、一時は鎌倉を奪取したことがあります(中先代の乱)。今は少年ジャンプで「逃げ上手の若君」というマンガの主人公になっています。こっちの方がカッコいいので、私もルーツをこちらに移行しようか検討中です(笑)。
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